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 一志晶綱TOPページ >> 「〜歌と兵乱〜 馬上の姫君 詳細
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  一枚の血塗られた絵歌留多が明かす、戦国姫君のサバイバル。侵略のDNAを持つ信長に観音寺城を落とされた近江守護佐々木義賢の生き様と佐々木の姫たちの悲運がテーマ。義賢の妹松姫が嫁いだ北畠家の滅亡を中心に物語は展開する。
 天文二十年、佐々木定頼は足利義藤を朽木谷から招き観音寺城で百人一首の歌合せを行った。そこで使用された歌留多は義藤の父義晴が観音寺城滞在の砌、徒然の無聊を慰めるため万葉集から百首を撰んだものであった。歌留多の席には、義藤の従兄弟、近衛前久や義賢の四人の姫たちも参加していた。さて、その後、桜、初、波野、久野の四人の姫たちはどのように戦国の世を生きたのであろか…。
川の上の斎津(ゆつ)磐群(いわむれ)に草むさず常にもがもな常処女にて
 その昔、吹黄刀自が波多の横山の巌をみて詠んだ歌である。近江守護佐々木家の松姫が伊勢の北畠具教に輿入れした時、たまたまこの歌が嫁入り道具として持参の万葉百人一首歌留多にあったことから、波多の横山の地を御料所と定めて御台屋敷を建てた。松姫は戦乱に果てた北畠家臣の御霊を御台屋敷で弔い、この歌を支えとして非情な戦国の世を生きようとする。
永禄十二年、信長は北畠を攻撃した。阿坂城を攻撃した秀吉は大宮大之丞に太腿を射抜かれたまま、別働隊となって白山を焼き、大河内城に向かった。途中、一志に差し掛かった所で傷が疼き出し気を失う。治療のため立ち寄った屋敷で、秀吉配下の武将滝孫平次、孫八郎兄弟は北畠正室松姫を発見し、捕虜にする。戦後、松姫は無事釈放されるが、天正四年、不運にも信長の粛清に遇い、政争の犠牲となって一族十五名とともに落命した。松姫の女佐の臣佐々木与志摩は松姫の没後、ふたたび義賢の随兵に戻る。
本能寺の変後、松姫の姪波野姫は叔母の無念を晴らそうと、北畠具親が御家再興の旗揚げをした時、夫具親を支えてともに川俣谷に戦う。しかし、戦いに利あらず夫を助けるため身代わりとなって、騎馬もろとも櫛田川に身を投じる。松姫の女佐の臣佐々木与志摩も波野姫を守って鳥はみ坂に戦死した。
 かつて松姫を御台屋敷で捕虜にした秀吉配下の多喜孫八郎(中村一榮)は関が原合戦で東軍唯一の敗将となったため出家隠遁、波多の横山の里に落ち来て、松姫を憐れみ、水神辰御前として祀りその霊を弔う。
松姫の生涯、万葉百人一首歌留多の由来、兄抜関斎承禎との兄妹愛、松姫を支えた歌人北畠国永や佐々木承禎晩年の孤独など、織田の強権に浸食されて滅亡に至る佐々木、北畠の主従らが織りなす戦国哀話。同地域の人々が互いの生存を懸けて争い、殺しあった中世の暗黒面に焦点を当て、武士道とは何か?日本人とは?郷土を愛し、平和を守るのは誰か?等を問いかける。それは、国家でも政権でもない、まして政治家でもない。それは名もなき一介の草莽の民であろう。
物語の語り手は、代々この地に生きつづけた与志摩の後裔佐々木陸三で、聞き手は万葉紀行の著作のためこの歌の実地踏査に佐々木家を訪れたアララギ派の歌人土屋文明と言う設定。佐々木家に伝わったとされる万葉百人一首歌留多と短銃の顛末を通して佐々木の姫たちの境涯を描いた作品です。馬上の姫君とは、松姫、波野姫、久野姫らの凛然とした美しさを象徴的に顕したものです。

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