本格エンターテイメント時代小説作家:風一
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第三章    梅雪の末路

 早暁、左平次が、山科水鳥亭に駆けつけて承禎に報告する。 
「織田信長、本能寺にて、明智の軍勢に討たれてござります」
 承禎は目を閉じて、合掌し、静かにいった。
「帝の権威を嵩(かさ)に着て民を抑圧し、侵略を重ねた上、数え切れぬ躯(むくろ)の山を築き上げた信長を、やっと倒すことができた。皆が力を合わせ、奴が掲げた天下布武という恐怖恐慌の政治から人民を解き放ったのじゃ。あとは、光秀が摂関家と力を会わせ、お上の意向に沿った政(まつりごと)をすれば言うことはない…皆には礼を言わねばならぬ」
 朝食を摂った後、承禎主従は再び、宇治田原高尾の茶摘み小屋に、小萩は上京の清家に戻った。おしげ、おゆみは何事もなかったように水鳥亭で働いている。
 承禎や小萩が去った後、亭主上林掃部丞(久茂)は店のことはおしげ母娘にまかせ、馬を駆って、宇治若森の本宅へ急いだ。
「信長死すれば、都は必ず騒乱の巷に化す」
 不穏な世情を前にして彼は年老いた父母と家を守ろうとした。
 若森の屋敷が近づくにつれ、周辺には茶園が多くなる。
 すでに二番茶は摘み終わり、濃い下葉の緑が朝日にきらめく水滴を葉上に載せて、茶園の全てを覆い尽くしている。宇治は清々しい朝を迎えていた。早速、五郎八に報告する。
「父上、お屋形様の苦行は成就しましたぞ」
「それは何よりのこと」
 五郎八も膝を打って悦ぶ。
「して、お屋形様は、どうなされた」
「高尾の山へ戻られました。明日あたり、お峯さまや善住坊殿の墓前に報告に行かねばと仰せにござりました…」
「そうか、実は、昨日のことであったが、本次殿が見えられての」
「本願寺と近江の往復で忙しい毎日を送っておられたお方でござったな。ここ二、三年会っておりませんが」
「お屋形さまの消息をお尋ねであった。甲斐から二郎様が戻られたそうじゃ。宇治田原の高尾じゃと教えると、早速、殿に知らせねばと戻って行かれた。二郎様は先月、武田より戻られたそうじゃが、耀姫さまと奥方さまが過酷な逃避行を続けられたため、体調をこわされての、その看病で一月ほど動けなかったそうじゃ。それはそうであろう、幼児の体力で十数日も甲斐の国から裏街道を歩き通しであったのじゃからの。奥方さまとて三条様を母とする義信様の姫君、そう頑健なお方ではない。消耗甚だしく、すっかり衰弱されていたお二方も、ようやく体力回復の兆しが見えたゆえ、お二人を甲賀和田山の大叔父縁故の者に預け、今日、明日中には、お出ましになると言うておられた」
「それは、ようござりましたな。高定様の無事な姿を早く見たいものじゃ」
 やがて、五郎八が思い出したように、
「母上が茶を立てて待っておる。行ってやれ」
と言い置いて作業場へ戻って行った。
 父の言葉に従い、母の庵に行ってみた。妙秀尼は承禎とそんなに歳は変わらない。細川晴元の与党として丹波の土豪上林家と誼を深めるため与志摩の妹茶奈は承禎の養女となって五郎八に嫁いだ。観音寺のお城で佐々木の姫として教育を受けた若き日の茶奈が、今では尼僧となり清楚に心静かに茶を立てている。久茂は母の前に座を正した。やがて茶が置かれて、しばし和やかな時間が流れた。心を鎮めて母の茶をゆっくりと頂く。茶碗を戻すと、妙秀尼は優しく久茂に問いかけた。
「如何であった…。母はこの茶に祖母(ばば)が昔と銘を打った。そなたならこの心がわかるであろう」
「はい、それは、お屋形様の苦行成就を記念されてのことにござりますな。祖母(ばば)が生きた昔の世はいろいろなことが起こった。嬉しいことも、悲しいことも、不思議なことも、驚いたこともいっぱいあった。その折々の思いを、このばばが丹精込めた宇治茶に秘め置こう…と…」
 掃部丞が答えると、妙秀尼は深く頷いて、
「顧みると、ばばが昔は、戦ばかりの乱れた世であった。強き者が己の力に頼んで弱き者を退け、己の権勢を掴み取ろうとする容赦なき時代であった。人は生き延びるためには義に叶わぬこともなさねばならぬ。しかし、まことの人の世とはそのようなものであろうか。まことの人とは、己の強きに頼まず、慈悲の心を持ち、弱き者の痛みに思いを馳せることの出来る人を言うのであろう。人らしく生きていくためには、己の所業一つ一つに懺悔の思いを込めて省み、己の滅罪のために苦行修行に身を置くことが肝要じゃ。後世の契約は苦行修行の果てにある。それが人の定めであろう。そのような思いをこめてみた。この世に生き長らえて得たばばの遺戒じゃ」
 この日、妙秀尼は上林の茶に『祖母が昔』と銘打って、わが子を教導したのである。
「戦いの世はまだまだ続くであろうが、日々の行いを自省して人らしく生きよ。決して傲慢になってはならぬ。慈悲の心を持ち、滅罪のために苦行修行に我が身を置かねばならぬ。さすれば尊敬と信頼を得て、戦いのない世の到来も可能となろう。その時、ひとは皆成仏出来るのじゃ」
「確と、こころに刻みつけまする。なによりの御馳走にござりました」
 掃部丞は礼をいい、母のもとを立って別棟にある製茶工房に向かった。そこは、五十程の焙炉のある土間で茶誘と言われる節労働者が三百人ほど忙しく立ち働いている。弟の三四郎、権之助、又市の三人も茶誘の間を額に汗して走り回っていた。掃部丞も着替えて労働の群れに身を投じた。
 一刻程が経過して、茶園に出ていた五郎八が戻って来たので昼食のため弟らと母屋の台所へ行った。
 食膳に座しかけた時、手代がやって来て早馬で駆けつけた客があることを告げた。
「何者じゃ」
「津田正時殿の使いの者と言うておいでにござります…」
 津田一族は北河内や南山城一帯に根を張る上林茶の得意先だ。
「主(あるじ)からにござります」
 使者は食事の場に通されると、掃部丞に書状を差し出した。開いてみると、
『三河殿が伊賀越えで帰国されるので信楽まで供奉するように』
と書いてあり、差出人は家康の堺での案内人、長谷川秀一と徳川の家臣本多忠勝の連署で、宛先は上林の惣領掃部丞(久茂)と四男、又市になっている。
 掃部丞は使者を別間に通して昼食を出し、その間に父五郎八や弟たちと対応を協議した。
「わしが右府より宇治一円の水陸の通行と荷駄運搬の免許を得たのは天正二年のことであった。長谷川殿はわしに忠勤を尽くせと言うておいでじゃ。また、三河殿は又市の旧主であり、上林の茶を東国にさばくためにはなくてはならぬお人。それに嫡子信康殿を右府に殺害されて断腸の思いをされた御方じゃ。ここで我等が三河殿に手を貸して逃がしたとて、観音寺のお屋形様のお心に違うことは少しもあるまい。むしろここで徳川に恩を売っておくことのほうが先のためにも必要なこと。この後、必ずやって来る動乱を乗り切るための手だてと思え。どれ、わしも一緒に同道いたすことにするか」
 当主五郎八の勧めで、一族は家康の一行に供奉することに決した。上林の郎党五十人程を引き連れて、使者が口頭で伝えた興戸の渡しに向かおうと家を出た。すると、門口のところで二郎高定と本次左京之進にばったり出会う。
「これは、二郎様、ご無事で何よりのことでござりました」
「心配をかけたが、無事かえることが出来た…ところで、物々しいが、何事が起こったのじゃ」
 五十人ほどの郎党を従えている五郎八父子のただならぬ有様を見て二郎が尋ねた。そこで、徳川家康の供奉を求められたことを話した。すると、
「わしも、行ってみよう」
と高定が言った。
 五郎八らが指定されたお出迎えの場所に行って家康の一行を待ち受けていると、宇治田原城主山口光弘配下の侍新末景と市野辺出雲の二人が馬を跳ばしてやって来た。
 後には市野辺村よりかり出された郷民六、七十人が続いている。二人は浅瀬を探して馬を乗り入れ対岸の飯岡に上がろうとしたが、折からの増水で渡ることができない。
「二郎様、われらは対岸に渡って待つことにいたしましよう」
 周辺の通行を仕切る掃部丞らは渡し場の持ち舟を自由に使い渡っていく。対岸の渡しでは、連絡を受けた飯岡の郷士小山政清が渡河用の柴舟二艘を準備していた。
 飯岡の岸に上がると、服部左兵衛貞信が数人の縁者を引き連れて、徳川の一行を待ち受けていた。この男はもと伊賀阿拝郡の呉服明神の神官で最近、宇治田原山田に移り住んだ者である。
 しばらくすると大和の十市玄蕃允も手勢をつれて馳せ参じた。待つこと半刻、普賢寺川に沿って四十騎ほどの一団が姿を表した。
「三河殿がおいでになった。粗相があってはならぬぞ」
 遅れて渡河した山口配下の侍たちが集まった人々を制して、警護の態勢を取った。
 到着した一行の中から長谷川秀一と本多忠勝がやって来た。
「郷の口の山口城まで郷導頼み入る。よしなに願いたい」
 掃部丞に丁重に依頼した二人が本隊に戻っていくと、服部正成が柘植三之丞清広と又市のところにやって来て、
「今から荒療治を行う。そなたも御主君のために力を貸してくれ」
と言ってきた。
 又市は今でこそ宇治郷に移り住んでいるが、彼は二十二歳になった元亀二年(一五七一)から徳川家康に仕え、三河土呂郷(現岡崎市)で百石の采地を与えられて製茶技術を指導していた。
 葉茶の栽培は米作よりも手の掛からぬものである。従って、一年の大半が農閑期に等しく、この間は服部正成らと各地の情報を収集して家康のもとに運んでいた。そのような関係で正成とは知己の間柄であるが、もう一人の方を知らない。
 それを察して正成が事情を説いた。
「柘植三之丞じゃ。昨年の伊賀攻めの時、国を脱して三河に参った。…実はな、又市、後を、穴山梅雪の一行がやって来る。十四人じゃ。ここで始末したい。十人程腕の立つものを出してくれぬか」 それを聞いていた高定が言う。
「殺(や)ろう、又市」
「殺ってもいいが…十人では、分が悪い…」
 高定の意を受けた又市が正成に言った。
「あそこに控える服部貞信の手勢も加わる。勿論、わしらもやる」
「ならば殺ろう…」
 又市が父五郎八の姿を目で追うと、徳川の行列について掃部丞と渡し場の方へ行っている。
「甲斐の太守信玄公の甥っ子に生まれながら血の通う一族の長、勝頼殿を裏切り黄金二千枚を献じて信長に下った汚い男じゃ。世話になった勝頼殿の御恩に報いるために、梅雪の謀叛故に皆殺しとなった武田一族の仇をわしが討ってやる。それに恵林寺で我が影武者となり死んでくれた勘助の仇も討てる。この機会を逃すようでは、後人の謗(そし)りを受けることになる」
 それを聞いていた正成は、三之丞のところへ引き返し言う。
「どうせやるならもう少し人数を増やした方がよい。山口の侍に言うて奴らがかり出した郷民を二十人ぐらい借りてくれ」
「交渉してみよう」
 今度は三之丞が市野辺出雲守の方へ歩いていく。
 逃避行程の中で、徳川家中の一部に潜行していた穴山梅雪の暗殺計画はこのようにして急浮上するに至った。
 家康の一行は時を惜しむように興戸の渡しからさっと木津川を渡って視界から消えた。
「穴山の一行は殿様の心を疑い、同道することを拒んだ。もうすこし下流より渡るに違いない」
 正成は飯岡の河岸に残った四十人ほどを北に移動させ、川原に繁る葦の葉陰に皆を隠した。
「ちょいと見てくる」
 正成が言ったとき、
「あれは違うか」
 又市が指差す一休寺の方角から草内の渡しに下りてくる十四、五人の騎馬の一団がある。
「あれじゃ。よいか、まず借り受けた付近の郷民に囲ませる。馬の動きが止まったところを討って出る」
「よし」
 皆一斉に葦や茅の茂みに身を屈めた。川原に下りてきた穴山の一行は馬の背丈程の茅の茂みに一時、姿を隠した。
 やがて茅の間から姿を現した一行は、突然、土民に囲まれた。
「追剥か、それとも一揆の者か。金ならたんとあるぞ」
 梅雪がうろたえて己の懐を探る。
「また金か、わしには銭は通用せぬ。そなたの裏切りによって悲惨な目にあい、不幸のどん底に突き落とされて死に絶え、未だに成仏できず冥界を彷徨い続ける多くの人々に成り代わって仇を討ってやる。その場に直られよ」
 高定が言い終わると、左京之進が梅雪を馬から引きずり下ろした。なおも逃げようとするのを又市が制して直ったところを高定が一刀のもとに切り捨てる。

 川原に降り注ぐ残照のなかで、無人の馬が数頭、首を振りながらのんびりと草を食んでいる。草内の渡しを何事もなかったように対岸に引き上げていく一団があった。木津の川浪がいく筋も線を引いて白く輝いている。


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