本格エンターテイメント時代小説作家:風一
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第八章    波野姫の最期

 御台屋敷はそのまま欠所として放置してあった。周辺の人々は与志摩の帰郷を喜び、進んで屋敷の修理に力を貸した。二、三日もすると、十分に住めるようになったので、伊賀の住民が信長死後、故郷に戻ったように、与志摩も御台屋敷に戻る決意を固め、安全を確認して與次郎を玉置山の皆のもとに迎えに遣った。
 
 与志摩の所へ具親から誘いがあったのは十月になってからである。しかし、御台屋敷には亀寿丸、若葉、お槇、お多紀らをすでに引き取っていて、慎重に行動しなければならない時期にあった。
『…信長が死んだとて、信雄がすぐ滅びるとは思えぬ。再び具親殿が、お家再興の旗揚げをして信雄と戦うことがあったとしても、そなたや與次郎、そして亀寿丸は軽々に味方してはならぬ。苦行が成就して後世の契約が叶った今、二度と殺生をしてはならぬ。慈悲に背けば、修羅の道に落とされて生きねばならぬ。そなたらはこの麗しき村里で心やすらかに生きるのじゃ。そして妹の菩提を弔ってほしい…』
 与志摩は與次郎とともに戒(いまし)めとして心に刻みつけている承禎の言葉を具親の使者に告げて、再度の旗揚げは、客観的に見ても困難であることを説いた。
「好機到来するまで時世を窺い、今回は思い止まるように申し上げよ」
 与志摩の返事を聞いて具親は落胆するが、二、三日たっと、逆に、勇気づけられる出来事が起こった。それは山崎の戦いで行方知れずとなっていた鳥屋尾内蔵之助義信が五箇篠山城に駆けつけてくれたことである。
 このことは安保一族をも元気づけることになり、直親の弟左門や一族の次郎市、左馬允それに旧臣岸江大炊助、稲尾雅楽助らが熱心に南伊勢の義故に説いて回った結果、一緒に戦ってくれる恩顧の者も徐々にではあるが集まるようになってきた。
 十一月になると、かつて三瀬、大河内、坂内、長野の家中にあった牢人らが具親を支援、その数二千を超えるまでになった。しかし、まだ不十分である。
 そんなある日。
「我等が信雄と戦うことは、雲出川原の処刑場で死んでいった高野聖の仇を討つことにもなる。高野の大将華王院快應殿に援軍を願い出てみてはどうであろうか…」
 鳥屋尾義信が言ったことがきっかけになり金剛峯寺に使者を遣ると思わぬ回答を得た。
「吉野の僧兵もふくめて内々に七百ばかり助勢仕ろう」
 こうして吉野、高野の僧兵も加わることになり、総勢三千余の兵員になったのは年も押し詰まった十二月の末であった。
 御台屋敷の与志摩に具親の挙兵を知らせる触れ状が届けられたのは、大晦日の早朝であった。
 かねてよりこの日のことを覚悟していた与志摩はその朝、與次郎に告げた。
「それがしは松姫の女佐の臣として北畠に仕えることになった。にもかかわらず、遂にお方様をお守りすること叶わなかった。そのわしが奥方様の姪御波野姫様までお見捨て申す訳には参らぬ。また、わしが戦おうと致すは、かつて一緒に戦い、そして身罷って行った家城主水頭殿、北畠国永殿子息具就殿、本居惣助殿、閼伽桶善四郎殿、それに、信雄に捕縛され刑死した六呂木、山副、波多瀬、玉井父子、嶺、乙栗栖などの御霊に応えたいからである。與次郎、後はそなたに任せる。そなたは観音寺のお屋形様の仰せに従い、亀寿丸君、若葉様を確とお守り致せ。わしは北畠と命運をともにする。さらばじゃ」
 御台屋敷を発つ時、与志摩は波瀬川に降り立ち、具教正室松のお方がわが子や一族の子女の無事を祈り続けた斎津岩群(ゆついはむら)に『常にもがもな永遠(とこ)処女にて』と波野姫の無事を祈った。
 
 五箇篠山に籠城する具親勢が決起したのは大晦日の午後である。先ず大河内城下に出撃して付近の民家を悉く焼き払った。
 これを知った信雄は鎮圧のため、元旦の早朝、津川玄蕃允、田丸中務少輔、日置大膳亮、本田左京佐らに一万の兵を与えて五箇篠山城攻撃に向かわせた。
 具親は大河内の龍ヶ鼻(旧大河内村桂瀬と松尾丹生寺との境)で防戦したが防ぎきれず一千の兵を率いて五箇篠山に籠城する。 
 佐々木与志摩は五箇篠山に着くと、安保直親と二千を率いて、防衛の前線を鳥はみ坂(飯南郡石村六呂木と小片野との間の坂路)に張って食い止めようとした。しかし、激戦の末、徐々に押されて退却を余儀なくされる。信雄軍はじりじりと五箇篠山城に肉迫した。
 二人は城の北麓を流れている櫛田川を最後の防御戦として士卒を励まし懸命に防いだが、とうとうそこも突破され、残兵とともにやむなく城に退いた。
 城は五箇谷村の古江と朝柄の中間にある標高五町程の山上にある。城下に達した信雄勢は、山下の森林に火を放った。
 麓で戦っていた具親勢は這い上がってくる火の手に押されて全員が山上の城郭に逃げ登って行く。
 これを見た信雄の配下小川新苦労九郎と松ヶ島の城主津川玄蕃允の手勢が追撃を開始した。
 世志摩はついに籠城の益なきことを悟り、まず具親と波野姫を逃すべく、直親や鳥屋尾義信らとともに具親のいる本丸に走った。
 そこには具親と波野姫、それに坂内御所の娘にあたる直親の奥方の三人がいた。
「殿様、直ちに城落ち下さりませ。二の丸御門からならば未だ可能にござります。他はすべて火が廻ってしまいました」
「なりません。一か所だけ開いておくのは罠にござります。おそらくその先に大勢が待ち受けているに相違ござりませぬ」
 そう言って制したのは波野姫である。
「なれど、逃げ出すことの出来るのは二の丸御門だけにござる」
 直親が悲痛な声を上げた。
「厩に馬は何頭つないである」
 波野姫が突然に尋ねる。
「十頭ほどかと」
「殿様、その鎧を私に下さりませ。私は幼少の頃より父に馬術を習ってまいりました。生家は四郎高綱より馬術の名門。父から習いおいた馬術をこのような時に役立てることが出来ますのは神仏の思し召しにざりましょう。私が殿様の鎧加太を賜り、二の丸御門より一気に討って出ることに致しましょう。さすれば、私を殿と思い敵は私を追って参りましよう。殿様はその隙に二の丸御門よりいでて、尾根伝いにお逃げ下さりませ。武門に生まれ武門に嫁いだならば、嫁ぎ先の人となって死するは当たり前のこと。殿は北畠の血を受け継ぐただお一人の大切な御方ゆえ、どうか後日を期して落ちて行かれませ。…さ早く、与志摩、直親、手を貸しゃれ」
 波野姫はそう言うと二人の手を借りて、具親の鎧加太を強引に引き剥がし、一つ一つ自分の身に纏った。
 直親の奥方も波野姫の言葉に心を動かされ鎧具足を身に纏う。
「馬をここへ引き出せ」
  与志摩が叫ぶ。芳田松右衛門、日置源五郎、春日兵衛丞らが厩へ飛んで、十頭ほどの馬を引き出してきた。最初の一頭に身も軽く飛び乗った波野姫は、
「鞆麿のことはなにとぞよしなにお願いいたしまする…」
 言い残すと馬の腹を思い切り蹴って二の丸御門へ駆けた。その後を、与志摩、直親、直親の奥方、義信と続き、さらに芳田、日置、春日、岸江、稲尾らの五騎が風の如く駆け抜けた。
 具親は少し間を置いて二の丸御門に出てみた。案に違わず、そこに張り込んでいた信雄の兵士らは波野姫を具親と思い込み全員で追って行ったものとみえて誰も居ない。そこで尾根伝いの道を懸命に走って逃れた。
 ふと、下の方を見ると櫛田川の流れに沿うて道があり、その道を流れに遡行するように駆け抜ける十騎の騎馬武者が目に入った。

 逃走する波野姫の一団である。手綱裁きも巧みに先頭を駆けていくのは紛れもなく波野姫である。その横に佐々木与志摩がピタリとつき従い、守っている。
 しかし、一団の直ぐ後を信雄勢が追撃していた。やがて信雄勢の先頭が殿(しんがり)を駆けていた岸江、稲尾の両名に追い付いて斬り掛かる。
 振り返って応戦する者が一人、二人と落馬した。具親は一人山頂を駆け抜けながら、眼下の光景から目を逸らすわけにはいかなかった。
 山肌に視界が閉ざされた時、具親は泣いていた。なんとか逃げきって欲しい。妻よ、お前だけでも生き延びてくれ。そう願いながら尾根を懸命に駆けた。

 再び視界が開けて櫛田川の流れが目に入ったとき、そこに逃亡する騎馬の一団は無かった。
 川上に視線を移すと、終生忘れえぬ光景が目に映じた。
 我が鎧を着た騎馬武者がただ一騎猛然と走り来て、櫛田川に馬もろとも身を投じたのである。
 追っ手の一団は河岸まで近づいたが、ただ馬を連ねて、流れに沈み行く人馬を呆然と見つめているだけであった。具親は大泣きに泣くと、妻が飛び込んだ方向に思わず手を合わせて頭を垂れた。
 この日(天正十一年正月二日)、安保直親、直親室、鳥屋尾義信らが討ち死にしている。松姫、波野姫二代にわたり女佐の臣を勤めた与志摩も御台屋敷に帰ることはなかった。
 
 妻に命を助けられた具親は、蒲生氏郷が小倭城を攻めた翌天正十二年八月十四日、小倭百人衆と氏郷との間に立って和平を進め、小倭勢は無血開城して氏郷に服属、具親の調停は成功した。
 秀吉は具親の働きを評価して多気郡有爾村に千石を与えると称して身柄を蒲生氏郷に預けた。
 
 妻を身代わりにして生き残った具親は、戦いの世に武士(もののふ)の心を持って生き長らえる気概を喪失していた。
 北畠氏はもとが村上天皇から出た公家であったから、具親は武士を捨て、公卿に戻りたい旨を秀吉に願い出た。
 しかし、具親の世襲的思考と名族意識が、庶民階層から台頭し、兵農分離を進める秀吉を逆撫でした。
 残忍な秀吉は具親の願いを聞き入れる振りをして、幽閉同然の具親を松ヶ島城において戸賀十兵衛に謀殺させた。
 戸賀十兵衛とは蒲生氏郷の姉の子で、本能寺の変時には明智に加担した後藤喜三郎のことである。明智が滅亡した段階で蒲生家に身を寄せたが、秀吉を恐れて戸賀と改姓していた。秀吉に憚って罪科ある身と謙ったのである。


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